SPECIAL STORY

新堂冬樹先生 書き下ろし短編

TOP 

>

新堂冬樹先生 書き下ろし短編

保護犬活動にも力を注ぐ作家・新堂冬樹先生が、わんねるに寄せて、短編を書き下ろしてくださいました。
老いていく一頭の犬の視点から、飼い主との深い絆を描いた物語です。
愛犬が、あなたに伝えたい想いとは──。

すべての愛犬家に贈る物語

パパ、ママ、ありがとう
〜ボクは幸せだったよ〜

 ママがキッチンでボクのご飯の支度を始めた。
 ボクはリビングルームのクッションベッドに寝そべったまま、申し訳ない気持ちでぼやけるママをみつめた。
 ママは冷蔵庫から取り出したタッパーをテーブルに並べ、腕組みをして考え事を始めた。
 ボクに出すご飯をなににするかを考えている姿は、もう見慣れてしまった。
「ただいま~。マルちゃん」
 パパが帰ってきた。
 前までは、外から微かに聞こえるパパの革靴の音だけで、ボクは寝ていてもパッと起き上がり全速力で玄関に迎えに行った。
 ドアが開くと、ボクは尻尾がちぎれるんじゃないかというほどブンブン振りながら喜びの気持ちを伝えた。
 いつの頃からか、パパの足音が聞こえても玄関まで走るのがつらくなった。
 いつの頃からか、パパの足音が聞こえなくなった。
 いつの頃からか、ボクは寝ながら首を上げるだけのお迎えになっていた。
「具合はどう? どこも苦しくない?」
 パパが笑顔で屈み、優しく背中を撫でてくれた。
 
 寝たままでごめんね、パパ。
 本当は、昔みたいに玄関までダッシュして出迎えたいんだ。
 いまは寝ながらお迎えしてるけど、嬉しい気持ちはあの頃と変わらないよ。

「ご飯は食べた?」
 パパがママに訊いた。
 ママが哀しそうな顔を横に振った。
「そうか……。もう、丸二日食べてないね」
 パパが心配そうな顔で言った。
 タッパーの中には、ササミ、鹿のお肉、牛肉、サツマイモ、ゆで卵が入っていることは匂いでわかった。
 どれも、ボクの大好物だった。
 でも、それは昔の話。
 八回目の誕生日を迎えたあたりから、ボクにいろんな変化がおき始めた。
 それまではカリカリのご飯だけでも美味しく食べていたのに、急に硬く感じ始めて食べにくくなった。
 ママがカリカリのご飯に柔らかいご飯を混ぜてくれたので、少し食べやすくなった。
 でも、十回目の誕生日が過ぎたときには匂いを嗅いでも食欲が湧かなくなっていた。
 ママはボクのご飯を作るのに、時間をかけるようになった。
 それまで食べていた茶色のご飯に、いい匂いがするお肉が混ざるようになった。
 ボクの食欲は、ふたたび湧くようになった。
 でも、何ヶ月か過ぎたら、また食欲がなくなった。
 ママはそのたびに違う匂いのするお肉に変えてくれた。
 十二回目の誕生日が過ぎたときには、ママがどんなお肉を混ぜてくれてもいい匂いだと感じなくなった。
 その頃には、ママの姿もぼんやりとしか見えなくなった。
 ママがボクの名前を呼んでも気づかないときも増えてきた。
 毎年、ボクの誕生日のときはパパとママがドッグカフェでお祝いしてくれた。
 だけど、十三回目の誕生日はお家で祝った。
 ボクが外に出ることができなくなり、トイレに行く以外は一日中寝ていることが多くなったからだ。
 体調がいいときは立ち上がり、お部屋を歩き回れる日もあった。
 でも、だんだんと立ち上がれなくなる日が多くなった。
 ある日、トイレに行こうとして立ち上がろうとしたときに力が入らなかった。
 ボクは何度も立ち上がろうとしたけれど、全然無理だった。
 我慢できずに、寝たままおしっこをしてしまった。
 ママに怒られるかもしれない……。
 ボクは濡れたクッションベッドの上で丸まり、歩み寄ってくるママを上目づかいで見た。
『あらあら、お漏らししちゃったの? 気にしないでいいからね』
 ママは怒るどころか優しく微笑みかけてくれ、ボクを抱き上げおしっこで濡れた体を温かいタオルで拭ってくれた。
 十四回目の誕生日を迎えた頃、僕は紙おむつをはめることになった。
 気持ち悪くて嫌だったけれど、パパやママに迷惑をかけたくなかったから我慢した。
 紙おむつをはめるようになってから、ボクは完全に立ち上がることができなくなった。
 一日に二回、パパとママが介護用のハーネスをつけてお部屋の中でボクを散歩させてくれた。
 
 ごめんね、歩けなくなっちゃって。ボクもパピーのときみたいにパパとママと一緒に公園で駆け回りたいよ。
 でも、走れなくても楽しいよ。ボクは、パパとママと一緒にいるだけで幸せなんだ。

「さあ、今日は食べてくれるかな?」
 ママの声がした。目の前にお皿が置かれた。
「北海道から取り寄せた鹿肉を柔らかく煮込んだのよ。美味しそうな匂いがしてるでしょう?」
 ママが祈るような声で言った。

 うん。きっと、美味しそうな匂いがしてるんだと思う。でも、もう、なにも食べられないんだ。
 
「やっぱり、だめね」
 ママが哀しそうに言った。
「明日、病院に連れて行ったほうがいいんじゃないかな?」
 パパが心配そうに言った。
「そうね。でも、一昨日検査の結果が出て、もう年だから内蔵機能の数値は落ちてるけど大きな病気はないって先生が言ってたし……」
「マルちゃんももう十五歳だからね。小型犬の十五歳は人間でいえば八十歳に近いから、あちこちガタがきても当然だけどさ。全然食べてないから、点滴とか打ってもらったほうがいいかもね」
「食べなきゃ体力もどんどん落ちちゃうしね。マルちゃん、明日、ママと病院に行こうね」
 ママが笑顔で語りかけてくれた。
 きっと、笑顔なんだと思う。
 ボクには、もうママの顔が霞んで見えなかった。

 パパとママを喜ばせて頑張って食べようと思ったけど、やっぱり無理みたい。
 パパとママがそばにいて嬉しくて尻尾を振ってお顔をペロペロしたいけど、ぜんぜん体に力が入らないんだ。

「病院で頑張ったご褒美に、帰りはマルちゃんが大好きなモモちゃんに会いに行こうね」
 モモちゃんはボクと一番の仲良しのトイプードルの女の子だった。
「マルちゃん、よかったね! モモちゃんに会えるんだって!」
 パパの弾む声が聞こえた。
 きっと、パパも笑顔なんだと思う。
 
 モモちゃんに会いたいな……。
 だけど、いまはパパとママのそばにいたいんだ。
 ボクにはわかっている。
 もうすぐ、お迎えがくることを……。
 
「来月には桜が満開になるから、元気になって一緒に見に行こうね。マルちゃん? どうしたの?」
 ママの声が、だんだん小さくなってゆく。
「マルちゃん? 具合が悪いのか?」
 パパの声も、だんだん小さくなってゆく。

 さよならはつらいけど、ボクは寂しくないよ。
 だって、パパとママがたくさんの楽しい思い出を作ってくれたから。
 ボクはその思い出だけを持って、神様のところに行くね。

「マルちゃん!? マルちゃん!?」
 パパとママの声が、ほとんど聞こえなくなった。

 パパ、ママ、ありがとう。
 ボクは、とっても幸せだったよ。
 来月の桜は、透明な体で一緒に見に行くからね。

 おわり

著者プロフィール

作家・新堂冬樹先生

1998年に『血塗られた神話』でメフィスト賞を受賞し、作家デビュー。「黒新堂」といわれるノワール小説から、「白新堂」と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風を誇り、多数の著作が映像化・コミック化されています。

ペットロスを描いた『虹の橋からきた犬』や、愛犬を亡くした罪の意識に苦しむ女性が柴犬と出会い、心を癒やしていく『おかえり〜虹の橋からきた犬〜』など、犬にまつわる作品も数多く執筆されています。

愛犬はウエストハイランドホワイトテリアの「クロス」。保護犬活動にも熱心に取り組まれています。

最新情報やおトクな情報はこちら

©2026 Kankyo Giken Co., Ltd.

LINEで相談